C'est du vent

~ Thursday, May 17 ~
Permalink
tora1014:

あー、番組の録画わすれたー。

tora1014:

あー、番組の録画わすれたー。

(Source: imgfave)


1,699 notes
reblogged via at1980independent
~ Sunday, May 13 ~
Permalink
581 notes
reblogged via at1980independent
Permalink
103,119 notes
reblogged via yaruo
~ Wednesday, May 2 ~
Permalink
「世界中の2割の人はあなたがどんな行動をとってもあなたの事を嫌いになる。6割の人は行動によって好き嫌いが分かれる。でも残りの2割の人はあなたがどんなヘマをしてもあなたの事を好いてくれる。世界はそういう比率でできてるらしい。」その事を母に聞いて私は結構心が楽になった。

808 notes
reblogged via oosawatechnica
~ Tuesday, May 1 ~
Permalink
94 notes
reblogged via picapixels
Permalink
だって小学校くらいから、何か辛いとアピールするたびに先生から「みんな辛いんですよ」と、辛さは共有すべきという教育受けてるんだもん。今の「オレが辛い。だからみんな苦しめ」はキッチリした義務教育の賜物だよ。

860 notes
reblogged via yaruo
Permalink
我々には、人生や世界に対し、何のコントロールをすることもできない。
願いが叶ったように見えても、それは、最初からそうなると決まっていたことでしかない。
だから、願ったことが叶ったように見えることがある一方、願いもしなかったことが叶ったり、願っても叶わないことの方が圧倒的に多いのである。
いうなれば、我々は、シナリオ通りに演じる舞台の役者である。
シェイクスピアやイェイツは、それを深く感じていて、人生が舞台のようなものである、あるいは、舞台のようなものでしかないと度々言っていたものだ。
イェイツは、人生は悲劇だが、演じる役者が泣いていてはいけないと言った。ただの舞台なのだから。
シナリオは完全に決まっていて、役者がそれを変えられる訳がない。
つまり、我々個人個人の思いの通りに世界が変わるはずがない。

我々の運命は、全て完全に決められているが、それの何が不満なのだろう?
そりゃ、金持ちになったり、可愛いあの子と結ばれることは無いかもしれず、病気になり失業して悲惨な目に遭うのが運命かもしれない。
しかし、全て受け入れていれば、たとえどんな状況でも、心晴れやかで喜びすら満ちるのである。
シラーの詩をベートーヴェンが歌にした『歓喜の歌』でも、別に億万長者になったり、美女を侍らせたから歓喜するのではなく、内なる魂を知ることで喜びに満ちるのである。

22 notes
reblogged via itokonnyaku
Permalink
日本には努力しても、%計算や分数計算、割り算や掛け算ができない軽度の知的障害者が100万人を超える規模で存在し、その本人も軽度の障害を気づいていない。自分はただ頭が悪いだけだと本人も思っているし、周囲からもそう言われる。そして保護されるべき障害者が不当な扱いを社会から受け続ける。

Twitter / 中嶋 隆 (via rpm99)

ずっと前にとあるお店でアルバイトをしている時に、軽度の知的障害者の人が何故かアルバイトの面接に合格してしまい、一緒に働くことになったことがあった。思い出すのも辛いのであまり書きたくはないのだけど、結論から言えばその人はそこの仕事をするだけの能力は無かった。でもそれはその人が「努力不足だから」だとか「頑張っていないから」なのではなく、そもそもできるものでは無かったからに過ぎない。ただ、本人から話を聞く限りでは、同居している親はその人を知的障害者だとは認識しておらず、だからこそ不幸なスパイラルが続いているのだと私は判断した。保護されるべき障害者が不当な扱いを社会から受けるのは、その親が子供を障害者として認知しないからだ、という側面があることも事実、なのだけど、なぜ認知しないのか、を考えるとその深みに絶望しそうになる。

周囲のアルバイト仲間はその人が軽度の知的障害者であることを認識できなかった。できなかったからその人を「馬鹿」であると決めつけた。それはあまりにも不幸なので、管理職クラスの人に状況を説明し、何故その人が仕事ができないかを解説し、仕事ができないのはその人が怠けているからでも悪意があるからでもないことを説明し、その上で、その会社がそういう人を雇えるだけの能力を持たないのであれば、残念だけど解雇するしか方法はないとアドバイスした。もしその時の自分に裁量権限があるなら、その人にできる仕事を作って雇い続ける道を探したのだと思う。

数年後、近所の駅近くを歩いていたとき、後ろから自分の名前を呼ばれて振り返った。最初は誰だか分からなかったのだけど、「○○ですよ。覚えてますか?」と言われて、ああ、あのときの人か、と思い出した。そして、自分の顔と名前を覚えてくれていたことに嬉しさを覚えた。どうやって暮らしているかを聞く勇気が無かったので込み入った話はしなかったけれど、元気そうな顔をしてたので少し安心した。

(via pdl2h)


953 notes
reblogged via yaruo
Permalink

(Source: jclaudeb)


156 notes
reblogged via abe-street
Permalink

(Source: melc)


163 notes
reblogged via melc